牛将(ぎゅう しょう、135年〜188年)は後漢末期の宦官。豫州潁川郡の人。 盲目ながら中黄門として騎車の管理に勤めた。しかし禁中の馬質低下を招いた上、『牛将予想』なる流言を広め世を乱したとして何進によって挽肉刑とされ殺された。 出仕の際、宦官ながら去勢手術を受ける必要がなかったという。